| 会社名 | 株式会社ほくせい |
|---|---|
| 代表取締役 | 加藤 久智 氏 |
| 所在地 | 〒511-0937 三重県桑名市志知865 |
| ホームページ | 株式会社ほくせいホームページ |
「伝統儀礼を守りつつ、時代にあったお葬式を目指して」をコンセプトに、地域密着の企業として、社会貢献・地域活性はもちろん、様々なイベント活動や祖先の培ってきた歴史の研究などにも力を入れられています。昨年10月に8番目の会館、愛灯館 朝明をオープンされた、代表取締役社長 加藤久智様にお話しを伺いました。
※音量が小さいのでご注意ください。
株式会社ほくせいのホームページを拝見させていただきました。
色々な活動をされていますが、まず加藤様の経歴からお聞かせ願いたいと思います。
地元の大学を卒業しまして、まずは同業者へ修行するつもりでした。ただ、平成2年というバブル絶世期のせいで、自社も人手が足りなくなりまして、外に出られる環境ではなくなり、そのまま自社に入ることになりました。最初の2年間は、働きながら大学院に通っていました。
大学院を卒業した24歳の時は大きな人生の分かれ目でしたね。卒業後すぐ結婚、青年会議所にも入り、正式に会社に勤めることになりました。
さかのぼってお聞きしますが、先代の時は製麺業をやられていて、全く違う分野の葬祭業を現在は行っておりますが、なぜ事業転換をされたのですか?
私も聞いた話になってしまいますが、当時は乾麺を作っていました。でも時代の流れで、冷蔵庫の発達によって生麺が主流になり、乾麺が売れなくなりました。更に、すがき屋様や日清食品様などのメーカーがどんどん大きくなり、製麺業というものが下請けになりだしたのです。弊社も下請けとして製造をしておりました。
途中までは順調だったのですが、徐々にメーカーの方も厳しい状況になってきたので、当然ながら製麺業全体がうまくいかなくなり、最終的に工場を閉鎖する事になりました。
その経験から、下請けはやっちゃいかん。元請けが出来る商売をしなければいけない。これからの時代は価格決定権をもてる仕事をしなければいけない。ということで、葬祭業を始めたのがキッカケだったそうです。
そして、加藤様が二代目社長になられてから、一気に店舗の開館をされていますが、
そのあたりの苦労話などありましたら、お聞かせください。
店舗展開の事ですね。私の父が30歳で起業したので、「私は30歳で始めたから、あなたは、29歳でやりなさい。29歳で出来ないはずはない。」という事で29歳で社長になったんですよ。その時に最初の桑名の会館を建てたのですが、実は2億5千万の借金をしました。マイナスからのスタートと言ってもいいかもしれないですね。
そのときの苦労、また経験して良かったことなど、いろいろあると思いますが。
今もお付き合いがありますが、広告代理店のある方と一緒にやってきたのが、うまくいったと思いますね。会館オープンに併せて、広報戦略を展開してきたそのCI(※1)が、うまくいって今があるのではないかなと思います。そのCIというのが「コスモス」です。
今では当たり前になっていますが、当時としては葬祭業でコスモス柄や料金体系を明確に打ち出すという事はしていませんでした。コスモスをモチーフにしたのは、葬祭業を暗いイメージから明るいイメージに変えたいという思いがあったからです。当時は、合わないとか、おかしいとか言われましたね。
※1 CI(コーポレートアイデンティティ)
企業が持つ特徴や理念を整理し、簡潔に表したもの。
また、これを外部に公開することで、企業の存在を広く認知させるマーケティング手法のこと
コスモスといえば、コスモス倶楽部というものがあるようですね。
コスモス倶楽部という店舗連携のための会員制度は、最初の会館オープンの1年後に始めました。今でこそ店舗連携や会員制度などはありますが、互助会とは違う葬儀関係業者の会員制度の導入は全国でも早かったと思います。葬儀だけでは営業がしにくいので、飲食関係や旅行会社であったり、結婚式場などの葬儀関係とはあまり関係のない提携店を、いろいろ利用出来るような体制を整えていきました。
それと同時にチャリティイベントの開催も始めました。人形供養祭や説明会、10円チャリティ、屋台村などたくさんの催し物を地域の皆様に楽しんでいただこうと考えて開催しています。こちらは全国で二番目くらいに早かったかと思います。チャリティイベントは年に1回、13年間行ってきました。
コスモスをモチーフにしたこと以外に、工夫した点などありませんか?
当時は、いくつも大きな会館が桑名市内にありましたので、他社と差別化をするためにどうすればいいのかということを考え、まずは人材育成に力を入れてみようと思いました。いなべに二つ目の小さい会館を建てた後に、また一つ会館を増やすべきという意見も出ていたのですが、本社を建てることにしたんです。人材を育成するためには、施設も必要だと考えたからです。本来なら店舗展開をするところですが、同じように働くのであれば、環境の整ったところが良いですよね。そうすると、良い人材が集まってくるようになり、本社を建てたことは正解だったなと今は思います。
人材育成に力を入れてきたということですが、葬祭コーディネーターコンテストに女性で初の最優秀賞を取られているとお聞きしました。このコンテストはどのようなものなのでしょうか?
葬祭コーディネーターコンテストというのは、葬祭ディレクターという葬儀を仕切る担当者が集まって、その手腕を競うものです。接客であったり、プランニングであったり、実際に模擬の式を催し、受け答えなどを評価するコンテストです。毎年行われています。弊社では、2006年と2009年の2度、中部地区を代表して出場して最優秀賞を取っています。
男女が生き生きと働く職場として、ベストプラクティス賞も受賞しています。2002年に始まり、2003年にほくせいが受賞しています。朝礼のような当たり前のことはもちろん、我々の業界では珍しいと思いますが、ほぼ週休二日制を取り入れています。いい人材を集めるためには、基礎的なことを整備しておく必要があると思いますね。また、女性の司会を最初に登用したのは20年くらい前で、県下でも初だったと思います。女性にとっても働きやすい職場環境になっているのではと思います。
従業員は何名ぐらいいらっしゃいますか?
正社員で34名です。パートの方も入れると74名ですね。毎年だいたい2名くらいずつは新入社員として入社されています。
若い人にとっては、あまり関わることの少ない事業だと思いますが、新人教育などに工夫はありますか?
もっとも違う点は、マニュアル化だと思います。この業界でいうと、3年たって一人前と言われますが、マニュアル化によって3ヶ月で一人前になれるようになっています。司会のノウハウも今では、かなりの量がマニュアルになっています。
マニュアル化を行おうとした動機は何かあったのでしょうか?
自分が会社に入ったとき、全くわからないことが多かったんです。そして、先輩達に「そんなことも知らないのか!」と叱られるわけです。先輩達にしてみれば当たり前になっていることも、新しく入ってきた人たちは、聞いてない・知らない・教えてもらっていないという状況でした。しかも、先輩達も人によって言っていることが違っていたりしたのです。
これからの時代、統一的な下地があってさらにその上を行かないと、お客様に満足して頂けないだろうというところから、まずマニュアルを作り、それを徹底するところから始めようと考えました。マニュアルは年々新しいことが加わっていて、どんどん厚くなっていますね。
人材育成や事業運営にマニュアルが活用されているんですね。話は少し変わりますが、
葬送文化研究所を開設されていますが、どのような事をされているのですか?
実は、葬送文化研究所はマニュアル化とは正反対なことをしています。葬送をマニュアル化することによって、単なるセレモニーとしてしまうと、本来の風習的な葬儀がなくなってしまいます。例えば、葬儀は友引になぜ出してはいけないのか、なぜ塩がいるのか、出棺の時は位牌と写真どちらが前かなど、本当のことを調べて伝統儀礼を守る必要があります。そのうえで時代にあったお葬式をお客様にご提供できればと考えています。
そのように思われたきっかけは、あるのですか?
現場に行くと昔のしきたりや過去のやり方を話される方がいて、本当の事がわかっていないとお客様にも迷惑をかけてしまいます。実際に、納棺する際に男の人が着物を着て化粧をしている地域がありました。私も初めて見た事で、この地域にはそういう風習があるのかなと思ったのですが、よくよく調べてみたら全くの間違えだったということがありました。会館で葬儀をする時には、そのような地域ごとの風習の事もしっかりと調べて、お客様にはお伝えしていかなければいけません。「社長が話していたから」という理由では、社員も自信が持てませんし、もちろん地域ごとの伝統もあります。違うことは正しく説明する必要がありますし、正しい伝統は守っていかなければいけません。実際に行っていなくても、送り火とか、里芋の根を棺に入れてへその緒にみたてて返す風習など、やりたいと言われる方がいればその通りに行えるようにしています。
人形供養やあしなが育英会は、どのようなきっかけから始めたのですか?
葬儀社として地域貢献や福祉に関して活動することは何かなと考えました。葬儀が終わるまでが葬儀社の仕事ですが、両親を亡くしてその後残された子ども達はどうなるのか。大きなお世話と言われればそうなのですが、葬儀に携わった者としては、気になっていたんです。その方達の支援が出来ないかと思った時にチャリティやあしなが育英会に協力をすることが、我々に出来ることではないかなと思ったわけです。
元々、あしなが育英会は交通事故で親を亡くした子ども達のためのものです。交通事故の場合は保険がおりますが、今では自殺される方が増えてきています。自殺の場合は、保険がおりませんし、葬儀も家族と葬儀社社員のみでこっそりやります。そういった子ども達にも、あしなが育英会は支援を行っています。
人形供養やチャリティ活動も、葬儀社としての地域貢献の活動なのですね。
そういえばイベントとして、先月行われた「仏事フェア2010」を開催しようと思った動機はなんでしょうか?
仏事フェアは、地域活性のために今年初めて開催しました。全国初だと思います。葬儀社の場合ですと仏壇や墓石を全部自社でやってしまいますが、これからの商売は、地域の連携が大事じゃないかと思っています。仏事フェアでは、仏壇屋さん・石屋さん・霊園さん・料理屋さんのそれぞれのお客さんを仏事フェアに呼んで、より連携を深めていこうというのが趣旨です。
20社ぐらいに参加していただきました。ほとんど桑名の方ですが、名古屋の方もいらっしゃいましたね。ブースを出していただき、それぞれの活動内容を伝えていただけるような形にしました。非常に多くの方に来ていただけたので良かったのではないかと思います。
イベントもそうですが、地域に貢献することを意識されているようですね。
そうですね。我々は地域密着の企業ですから、地域なくして会社はないです。5月末に行われた愛灯館桑名報恩感謝祭に出す10円チャリティの野菜とか、100円掘り出し物市などは、毎回朝から並ぶほど人気です。いろいろな方が協力してくれるので、非常に安く出す事が出来ています。100円の掘り出し物市なんかは、実際に1000円する品物をギフト関係のお店から頂いています。今後は、各地の愛灯館でのイベントも開催する予定です。
会館オープンやイベント開催など加藤様が社長になられて多くのことをされていますが、大変だったこと良かったことなど是非お聞きしたいと思います。事業拡大の秘訣とかもありましたら。
あまり、大変な事・苦労をした事というのは無いですね。会館を建てる時も、地域の方に反対されるかと思いましたが、どちらかというとウェルカムでした。大安は、自治会の土地に建てることになり、自治会全員の承諾がないと貸してもらえないので、自治会員200名の署名をいただくこともしました。
地域からの協力がもらえたのは、私自身ではなく、先代・先々代のおかげだと思います。員弁地域に行っても「あの、うどん屋さんだね」ということで、良くしていただくことが沢山ありましたから。製麺業を閉めたときに、「借りた物は、ちゃんと返せ」と先々代に言われていた通り、すべて売り払ってお客様にも迷惑をかけずに商売をたたんでいるので、次の時も良くしていただいています。
阿下喜の時も、パチンコ屋の跡地ですが、ほくせいさんなら大丈夫と地主さんに言ってもらえました。他にもいろいろな所で信頼していただいています。うどん屋の社長の時から地域の信頼は、厚かったのではないかと思います。
そのうどんを、ぜひ食べてみたかったですね!
最後に、これから三重を担ってく未来のリーダーへのメッセージをお願いします。
皆さんへのメッセージを一言で、と伺いましたので皆さんにお伝えしたいと思います。企業の成長は、やはり「人」だと思います。人なくして企業の成長はない。良き人材を集めるためには、自らが成長する必要があると思います。ですので、皆さん是非、色々な機会を通じて自己の研鑽に励んでください。




